京都YOGAsmile建仁寺@2013.10~offthemat~

続いて、off the mat のクラス。

皆に考えて欲しい。ヨガのクラスへ通う行為を・・
と言ってクラスを始めたマスター。

ヨガクラスやWSに通う事が、
映画を見て「楽しかった~面白かった~泣けた~」

と、感動して帰るだけのようになっていないか。

映画の中で語られている内容を理解しようとしているのか。
そして、ガンジーの話を例として話し始めたマスター。

ある日ガンジーは、映画館へ行った。
嘘をついた事のない、アリッチエンドラの話を作品にした映画だ。

そこには、他にも何千人もの民衆が訪れていた。
が、ガンジー以外の人は、ただ”見ただけ”。

しかし、ガンジーは違った。

彼はその映画を理解し「もう二度と嘘をつかない」
と誓い実践したのだ。

これが、実践的にヨガを練習している人と、
楽しかった気持ち良かった勉強になった!

と感動だけを残して、そこから何も学んでいない人の違い。

ヨガの目的は
『私がどこから来て、どこへ行くのか』

この答えを見つけ、
私とはナニモノかを理解する事であり、それが悟りへの到達であるというマスター。

ヨガは、贅沢品であったり嗜好品ではないのだ。

悟りに到達できないのは、
エゴや感情に左右されているせいだという。

フローのクラスで、”ツライ”と訴えるマインドの声を聞いてしまって、
楽な手段を選んだように、

マインドの声を聞くから意思が揺れ動くのだと。

そして、この話になると必ず出てくるのが、毎朝水シャワーを浴びるという練習。

水を浴びよう!と思うA。

でも、冷たいし浴びたくない。。
風邪引いちゃうかもしれないし。。と囁くB。

このAとBの間で、マインドは動く。

そこで、Bの声を聞くなと指令するCがいる。

の第三者的自分自身『C』の意思に従うべきだと、マスターは言う。
そしてこのCが、純意識(pure consciousness )であるらしい。

新作の映画が出る度に映画館へ行くかのように、
本屋に陳列されているヨガ本を読みあさり、
インターネット上で飛び交っている情報を集め続ける。
色んな先生のWSへ通い続ける。
そこにある、もっと学びたいという気持ちに嘘はないだろう。

それが間違っているとも、良い悪いを言ってるのではなく、
立ち止まって考えて欲しい。

そう言葉を締め、立ち上がったマスター。

そしてその場で、駆け足を始めた。

皆これを見て、馬鹿げた行為だと思うだろ?
こんなに必死になって走ってるのに、何処にも進んでいないんだから。

更にスピードを上げようが、
この場から1mも前に進むことはなのだから。

この様に、もっともっと学ぼうと必死になっても、
先へ先へ急ごうとしていても、その場駆け足をしている限りどこへも辿り着かない。

自分のヨガの歩み方がどんな状態にあるのか、
一度考えてみて下さい。

ヨガとは、誰かに従うものではない。

悟りへと連れていってくれる人なんて、どこにも存在しない。

第三者の自分に従い、
自問する事でしか到達できないのだ。

とても深い座学となった貴重な2時間でした。

しかし、例えマスターの言葉であれど、
それが古典ヨガテキストに書かれている事であろうと、

これもまた、文字としてノートに残しただけで、理解し実践しないのであれば、
この2時間の学びも、その場足踏みになってしまうのだろう。

一歩でも、その場から足を踏み出し進んでいけるように、
まずは毎朝の水浴び、自分の中にいるマインドと会話しない事から始めるとするか!

ブログ

off the matで行った『関連づけないワーク』

相手の質問に答えず、全くの無関係の事を返す。

自分の中で、AとBが行き来するように、
無数の星が散りばめられたような星空状態のマインド。

星と星を繋いで、星座を作っちゃダメなんでしょうね。

星を星としてだけ見て、マインドに振り回さない強さ。

そして、この星にすら目が向かず、
そこに宇宙(そら)がある真実に気付けたら、
それが、Cの存在なのかもしれない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中