【ヴィジョンオブヨガを終えて】tokyo2013

‘学びの道は永遠に続く’

2012年に引き続き2回目のヴィジョンオブヨガを終えた今、
改めて そう感じている。

そして・・眠っていた私の背中はうっすらと目を開けた!

マスタースダカーとの出会いは香港。
100名以上の参加があった2011年New Yearの香港でのWSで、
初めてマスターのクラスを受けた。

実はその前からマスターの事は知っていてクラスに出てみたいとずっと思っていた。
けれど、きっと上級アサナフローの凄いクラスなのだろうなあと気後れしていた。

WSは想像していたのとは違い、
とても広いスタジオで大勢のいろんな参加者が和気あいあいと汗を流していた。
今、思うとこれが‘シュクシュマビヤヤマ’だった。

そしてデモをしたり参加者の周りを回ったり忙しそうにしていたのが
アシスタントティーチャーの円さんだった。

日本へ戻ってからも、マスタースダカーのレッスンが気になって仕方がない。

香港でティーチャートレーニングを受けようか?
次回はいつだろう?

そんな思いで気持ちがいっぱいになっていた時、
”ヴィジョンオブヨガ” がなんと東京で開催されることを知り、
信じられない気持ちで飛びつくように申込んだ。

あのマスタースダカーがティーチャートレーニングで20日も日本にいる、
それだけでも信じられない気持ちだった。

ティーチャートレーニングには“ヴィジョンオブヨガ”というタイトルがついている。
マスターが教えるその‘ヴィジョン’とはどういうことなのだろう?

ワクワクしながら初日、スタジオへ出かけた。
2012年日本で初めてのヴィジョンオブヨガは定員の24名でスタートした。

しかし初日から驚きと混乱の連続だった。

ヴィジョンオブヨガを受講する前は、
‘ヨガとはそれ自体が道である’ ‘その過程を楽しむ’
といったことを聞いたことはあったが、言葉の持つ意味を深く考えた事はなかった。

なんとなく自分で「レッスンのあと、アサナができてもできなくてもそれにこだわらない、楽しめばいいんだ」などと解釈していただけだった。

けれど実際にレッスンの中での自分はどうだっただろうか?

少しでも遠くまで手や足を届かせようとして、
常に本やウェブサイトで見る最終ポーズと自分の姿を頭の中で比べて、
チラチラとインストラクターや周りの人を見て、
もっとねじって、もっと深く・・と外見を追っていた。

そして心には‘ああ、これは今日できなかった、あれとあれはこうだったけど、これはこうだった」などと単に自分の判断で比較をして そこに自分なりの期待や執着、失望や満足感があった。

マスターが教える‘ヴィジョン’とは何だろう?

ヴィジョンオブヨガを受講すれば、
このヴィジョンという言葉が持つ意味の回答をマスターから聞けると思っていた。

それがヨガをしていく上で大事なことなのだろうと、また勝手に想像していた。

果たしてマスターから答えは聞けたのか?
ヴィジョンとは?

2012年1回目のヴィジョンオブヨガを終えた時の私は、一言で表すなら“混沌”だった。

‘これでティーチャートレーニングを受講して
RY200の修了証を頂きました’などと、とても言えない。

どうしたらいいのだろう?
そのあともマスターのWSに出たりして、
とにかく続けなければと自分の足りないところを必死に埋めようとしていた。

一生懸命に何かをつかもうと また答えを見つけようとしていたはずなのに
そんな自分を嫌だと思っていることに ある日、気が付いた。
自分の嫌な部分がどんどん見えてくる。

手放せずに、執着していることがありながら、それに対しては言い訳をしていいる自分・・。

そしてもうどうしていいかわからなくなって

‘こんなに悩んで苦しむくらいなら もうヨガをやめようか?‘
‘ヴィジョンオブヨガで教えてもらった事を何ひとつわかっていないし できていない’
‘自分はヨガをする資格がないのかもしれない’

と悩み続けた。

‘どうしたらいいか?’
あの時は‘どうしたらいいか’ということを 自分に何度も、何度も問いかけていた。

そして自分の中から出てきた答えは、

「もう一度受けよう。
ヴィジョンオブヨガの教えをもう一度 体験して自分で答えを見つけていこう」

だった。

そして2013年のヴィジョンオブヨガの再受講を申し込んだ。
同じ先生、同じテキスト、そんな事への不安は全くなかった。

1回目も2回目も自分から進んで申し込んだのだけれども、決断には大きな違いがあった。
1回目の申込の時は外側に答えを求めていこうとしていた。
2回目は自分の内側へもっと答えを見つけにいこうと思った。

2012年のヴィジョンオブヨガ初日に、
マスターは「G-generate, O-operate, D-destroy これらを繰り返すのが‘GOD=神=絶対的な存在’ヨガはこの絶対的なものを一体化させるものを結合する」と言った。

内側にある思想、決断するときに気持ちと行動が一致しているか?
そこに食い違いがある限り、健康は得られない」と言った。言葉が持つ力。

私が‘知識’と思っていたものは実はただ単に聞いたもの、
それは情報にしか過ぎず、自分でその言葉の持つ意味を深く考えもしなかった。
本当に理解していない事を他の人に言葉で説明しようとしていた。

マスターは繰り返し言う。

「言葉を軽々しく扱わない」「自問する事を続けなさい」と。
「聞いたものを体験して噛み砕いて理解して初めて知識になる」と。

けれど1回目のヴィジョンオブヨガが終わった後も、
私はまだ外に答えを見つけようとしていた。

噛み砕けずに自分の中に沢山のものを溜めたまま・・・。

‘自分の内側と対話する’‘内面を見つめる’それはどうしたらいいのか?

アシュタンガ8支足のヤマ、ニヤマ、ヨガの本やウェブサイトで読むだけでは
自分の理解にならないということを痛感した。

知識とはそんなに簡単に手に入れる事ができないのだという事。

そして“真実は醜くて痛みを伴うもの”こういうマスターの教えから様々な事を考えるようになった。そう、自分に何度も問いかけて考えて苦しんで時間をかけて自分でそれを経験し やっと手にするもの、それが知識であり真実なのだ。簡単に手に入る情報で‘ヨガとは?’‘ヤマ、ニヤマとは?’など言葉の定義を覚えても何の役にも立たないということ。

私たちは一般的にアサナの練習に重きを置きがちだが、ヤマ、ニヤマを本当に理解していなければ正しいアサナの練習もできないのだということも痛感している。

アサナの練習において、
以前は最終ポーズを目指して それに近づこうとして汗を流していた。
汗が出れば出るほど頑張ったような気がして 心地よい疲労感を感じていた。

それをアサナの練習だと勘違いしていたのだ。

ヴィジョンオブヨガを受けた後の自分の体は?
ヴィジョンオブヨガを受ける前も、一応ヨガで整えているはずの身体だった。

けれどマスターから教わった練習をしていたら、
自分の体に‘自分の気が付いていないこと’があることが次々にわかった。

ポーズが出来ない理由を腰や背中が固いからとか、昔、骨折をしたから・・
などと理由をつけていた。
言い訳する事で自分の出来ない事を正当化していた。
考えてみると これらは外側の大きな筋肉ばかりだ。

長年の生活習慣や片寄った体の動き、間違ったアサナの練習、
ある意味、それらに執着しての結果だ。

何気なくしている呼吸にさえ癖があるという。

「皆さんは大きな筋肉を酷使し過ぎる。
もっと内側の小さな筋肉を使って正しい体の使い方で アサナの準備をする」

‘アサナの準備‘ このことも以前の私なら 準備=ストレッチ と解釈していただろう。

マスターが教える’シュクシュマビヤヤマ‘はストレッチではないのだ。

シュクシュマビヤヤマは単純な練習ではなく、微細な動きを伴う練習だ。
だからひとつひとつを慎重に正しく練習する。

“アサナがやってくるのを待つ”ということも言葉だけでは理解できない。
忍耐をもって実践して言葉を自分のものにしていく。

“ヨガの本質を理解する。
これは正しい練習で増えていくもの”というマスターからのメッセージ。
この‘正しい練習’にはアサナの練習に限らず、いろいろな意味が含まれているのだ。

以前は“早くプラナヤマについて教えて欲しい”“正しいプラナヤマをもっと知りたいし実践させて欲しい”などと安易に考えていた。

けれどヤマ、ニヤマ、アサナが正しく出来ていないのに
正しいプラナやマの実践などあり得ない、と最近ようやく気がついた。

マスタースダカーの教えは 今、
ワナカムヨガスクールを通して大勢の方に広まってきている。

WSも すぐに満席になってしまうほど人気も高い。
真摯に正しいヨガを学びたいと思っている人、
それに気がついた人が増えているのだと嬉しい。

ワナカムヨガスクールと名前が変わり、
「マスターって日本に住んでいるの?」と気かれることもあるくらい、
数多くのWSを私たちに提供してくれている。

毎回、顔を会わせる参加者の方もいて本当に嬉しい。

でも、20日間の“ヴィジョンオブヨガ”は特別だ。
WSに何度参加しても学べない大きなものが根底にある。
そしてそこは参加した人しか味わえないとても深い学びの場である。

受講中は決して楽ではないし、笑いや涙、様々なドラマがある。

マスターはそんな私たち受講者が混乱し涙する様子を見て
「玉ねぎの皮をむくように1枚ずつ自分を覆っているものがはがしていき、
まずは自分をさらけ出す」と言っていた。

内側から自然に出る涙を止めることはしなくてよいのだと。

中が空っぽになったら、新しい教えも自然と入ってくるのだということ。

でも空っぽにするのは難しい。
年齢を重ねれば重ねるほど、自分が積み重ねて来た事に執着するから・・・。

そういうことへの執着、物事への謙虚さ、
突っ走ってしまいそうなときに気がつかせてくれるのが、
私と違うものを持っている他の受講生の存在だ。

何度も助けてもらっている共に学ぶ仲間への感謝の気持ち。

そしてアシスタントティーチャーの円さん。
通訳から何役をも一人でこなす、あのエネルギー。

円さんのプラナが減ってしまうのではないかと思わず心配してしまう。

ヴィジョンオブヨガをもう何回も受けている円さんだからこそできる、
私たち受講者へのフォロー。

時には緊張で張りつめた場を、練習で辛い場を笑いで解きほぐしてくれ、
私たちの弱さを自分自身で素直に受け留められるように助けてくれる。
楽しい、辛い、これらの両方を味わって、笑って泣いて、そういう両面に向き合っていく。

‘何の為にヨガをやるのか’

今はこのことを自分に問いかければ問いかけるほど
もっと学びたいという気持ちが湧き出てくる。

自分に繰り返し問いかけて経験して 覆っている小さな自分を取り除いていく。

いつか 大きな自分にたどりつけるのだろうか?

ヨガはずっと続く道。

「前に進む事ばかりに気をせくことなく、
立ち止まったり、時には戻ったりして歩んでいく勇気を持って欲しい」

マスターのこの言葉の中にも沢山の意味が含まれている。

ブログ

そういうことを私たちに、考えさせて、、体験させて、、
気がつかせて、、くれようとするのがマスタースダカーの教え。

そして何度でも受けたくなる学びの場、それが“ヴィジョンオブヨガ”だ。

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