京都リトリート 〜ドクター編〜

さて、ドクターの登場です。

いつの間にか会場に到着していたらしいドクター。
前半のマスターと私たちのやり取りを静かに聞いていたらしい。

マスターとバトンタッチして、開口一番、
“私たちが人生に求めるものは何か?”

いきなり、重い質問。

健康?生きがい?存在の理由?
魂の四つの目的とは?
人間と動物の違いとは?

と、話は進んでいきます。

ここのところ、
すごく深い話が濃~くあったのですが、今回は省略。

というか
まだまだ理解が足りないので。

 

ドクター曰く、
これらを理解してYOGAの練習を行うことが出来れば、

“私はYOGAの練習をしている、
というより、私はダルマに従って生きている”

といえる、のだそうだ。

ヤマ、ニヤマ がYOGAの絶対的な土台であることは頭で理解しても、その内容の理解となると、はなはだ自信がない私です。ましてや実践となると、もう目も当てられない。

ちょっと、苦しくなってきて、逃げ出したくなったころ、
ドクターの小話で一服。

 

ある川辺にヨギ―が住んでいた。
必要最低限の持ち物でシンプルに暮らしている。

周囲の人々の尊敬を集めていた。

ある日、洪水が発生して川辺の村がすべて流されてしまう。人々は高い木に登って避難している。目の前をいろんな物が流されていく。そのうち人々は流れていくものを拾い始めるようになる。なかには高価なもの流れてきたりしている。

その様子をずーっと見ていたヨギ―はとうとうがまんしきれなくなり、流れてくるもののなかでも特大の黒いカバンが流れてきたのを取ろうとする。すると、カバンを掴んだ瞬間、カバンの重みでヨギ―も一緒に流されてしまう。人々はあきれてヨギ―を見ているが、流されていくヨギ―に、危ないからそのカバンを手放すように言う。なかなか手放すことが出来ずにいるヨギ―。ドンドン流されていくヨギ―。これは命が危ないと、とうとうカバンから手を放して手放そうとする。両手をバンザイしても今度はカバンのほうがヨギ―にしがみついてくる。どうしたことか?

実は、大きな黒いカバンと思っていたものは実は川にすむ大きな動物だった。

手放したのに、手放したものが何故自分をしばりつけるのか????

 

人生の仕組み、あり方を知ることで、
YOGAの練習を正しい方向にむけることが出来る。

YOGAとは自分を知るための手段なのだから、
そこを省いて、マットの上に立つことに意味はあるのか。

 

ドクターは言う。

“YOGAは本当に祝福にみちた旅のようなものです。
もしあなたがその意味を本当に理解するのならば”

う~ん、深い。宿題たくさんもらいました。

なんとなく、少し賢くなったような?!

考えすぎて、しびれたような頭をかかえて、次はドクターのヨガニドラの時間です。

実は前回、東京にリトリートで、初ヨガニドラを体験したわたし。
不覚にも爆睡。睡魔に抵抗しようとして葛藤していて、しんどい思い出が。

今回こそ、ヨガニドラの深いリラックスを体験したいもの、しかし、前回の二の舞を避けるために、眠くなったら寝てオーケー、と最初から自分に許しを与えてのスタート。

コートを着込んだり、手袋をしたりして、温かくしたのが良かったのか、二回目なのがよかったのか、気負いの無いのがよかったのか、今回は葛藤も無く、目覚めの時も体を動かすのに少し手間取る感じがあって、もしかして意識と肉体がちょっと離れた?初めての感覚だった。

 

“Silence is intense practice”
「静けさこそ最高のプラクティスである。」

ヨガニドラの後の静寂の中に、ドクターの言葉がふんわりと、しかし力強く漂う中、リトリート一日目が幕を閉じました。

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