てんぷらは、熱いうちに食え!(指導者向けWS「アヒムサ」)

難しい・・・難解な!苦手な内容のWSでした。

それは、私自身が今までそのこと「アヒムサ」について、知ろうとせず、見ないように蓋をしてきたからなのかもしれないと。

そして、今日こそ見なければならないのだと、
重たい蓋を自分自身で開けさせられたのかもしれません。

今まで何度も説明を受けた覚えはあるものの、単語だけを頭に入れていた「アヒムサ」その意味はさっぱり、わたしの中では消化されていないままで、触りもせずに捨て置かれていました。

今日のクラスで、マスターは
「ありのままに生きること、がアヒムサの第一歩である。」

と説明してくださいました。

始めは全くピンときませんでした。
わたしはすでに「ありのまま」の自分とは、一体どんな自分なのか。
「ありのまま」何を考え、何を話すのか、忘れてしまっているのです。

世間体を気にして、理想とする自分を演じすぎて、それが板について、もしかするとすっかりそれが「ありのまま」なのではないかと、自分でも思い始めているからなのです。

そうして、そのことに何の疑問も持たず、毎日を自分に都合のよい曖昧な解釈でお茶を濁して、ただ流されていただけなのかもしれません。

ずっと以前にそんな小説を読んだことがあるけれど、その時「もしや!これは、わたしのことなのでは?」などとは、少しも思わなかった。

マスターは「ありのまま」をてんぷらになぞらえて説明してくださいました。

てんぷらは、揚げたてをその場ですぐに食べてしまえば美味しい食事になるのに、そのまま鞄に長い時間入れっぱなしにしておけば、異臭を放ち、他のものも油で汚し。早く捨ててしまいたいだけの、厄介なごみになる。おまえたちは、そんなことをしていないか?と。自分の感情や思考に引きずられて、そもそも世間の目を気にして。「ありのまま」に見ることを忘れていないか。

京都での2日間のWSを終えた帰りの新幹線の中で、わたしは来る時とは明らかに違う視点で考えるようになっていることに気が付きました。

今日だけではありません、
毎回わたしは考えさせられる「なぜ?」と。

マスターは、生徒に立ち止って考えさせることをするのがヨガの先生の仕事なのだと一貫して仰っています。まだまだ理解の浅いわたしは、生徒さんに考えさせることなどできないけれど、マスターから何を考えさせられたのか、そして今の私の理解の度合いのなかでは、どのように考えたのかを正直に生徒の皆さんにお話して、生徒の皆さんも同じように考えてみてくださいとお話しするようにしています。

そして、正しく考えるのもわたし、その考えに従って行動を起こすのもわたし自身なのです。それができて、はじめて自分の人生を生きることになるのだ。

このことを、マスターは
「てんぷらは、揚げたてを熱いうちに食うものだ。」
と教えてくれました。

難しいと思いがちな哲学もマスターの小話にかかれば、私たちの日常に落ちていき身近で感じやすく分かりやすい。後は、実践するのみです。
京都

 

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