The Practice パート①を終えて

なんでこの人の言うことは素直に聞けるんだろう?
この人がそう言うのだったらそうだと信じてみようと思えるのだろう?

遠い国で生まれ育ち、たまたま目の前に現れただけの、
なんの関係もないはずのこの人に、
疑うこともなく人生を預けようとしているのはなんでだろう?

3日間が終わって数日、
「歳がいくつも変わらないマスターに人生変えてもらったね」
と母が眩しそうに私を見てこう言いました。

そのときこんな疑問が出て、少し考えてみました。

このプラクティスは人数限定で抽選。

申し込む時は、
私が他の人の学びの場を奪いたくないとか綺麗事を言って、
逃げようとしていました。

何故か参加できることとなり、嬉しいような申し訳ないような、
参加できなかった方の分までがんばらないとと思ってプレッシャーでした。

でも、この場にいられることを喜び今をがんばることと、
それとプレッシャーに感じることを、
結びつけてはいるのは自分の中の妄想なのだと、

マスターのお話を聞いていると、
入れているつもりはないのに入っている変な力が
少しずつ取り除かれていきました。

カラダを使った練習に入る前に緊張を取ってもらえる。

痛いしキツいしぜんぜんカラダと会話できないけど、
今までになく楽しい。

ココロもカラダも疲労困憊なのに、嬉しい。

今回実践できたことなんてほんの少しなのに、
ココロがとっても軽くなりました。

今までどれほど勝手に背負い続けてきたのか、
そのためにどれほどカラダにも負担をかけてきたのか、
それによってどれだけほかの人に悪い影響を与えてしまっていたのか…

今はまだ、私と自分自身と私の良心と、
昨日の私と今日の私、
どれが本当の私なのかぜんぜんわからないし、
エゴ(玉ねぎ)の大きさに途方に暮れそうになってしまいます。

でも、テキストにある一文を思い出しました。

「自分自身の能力に自身が持てなくても、グルに対しての絶対的な信頼があれば、山を動かすといった一見不可能に思えることもまた可能なのです。」

ヨガを信じ、マスターを信じ、自分自身も信じたい。
敬意を持ちたい。

そして誰かから愛されたいと欲しがってばかりではなく、
自分で自分を愛してあげたい。

社会の中で素直に笑って暮らせる私になりたい。

ポップコーンになって、誰かに食べてもらえるようになろう。
1歩を踏み出し、どんなに辛くても逃げないで歩き続けよう。

ここまで考えて、冒頭の疑問が少し解消してきました。

マスター自身がヨガを信じ、
マスター自身を愛していらっしゃるからだ。

そしてありのままのマスターが、
偽りのない良心で語りかけてくださるからだ。

それはマスターの深い愛であり、
マスターの私意ではなく神様からのお言葉。

私の中の純粋な良心が呼び起こされているんだ。
・・・きっと!!

もう、この疑問はどうでもいい。
私は、幸せ者です。

私のこの学びのために犠牲を払ってくださっている
マスター、まどかさん、参加できなかった皆さん、
心より感謝申し上げます。

私自身の向上により巡り巡って皆さまへのご恩返しができますように、
努力し続けます。

引き続き2ヶ月、どうぞよろしくお願いいたします。

プラクテス

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