『家族』の定義とは

マスター・スダカーのWSへと、藤沢に行って来ました。

この日はスーパームーン。
1年の内で最も月と地球が近くなり、大きな満月を見ることが出来る日。

そしてGuru Purnima の日。
Purnima は満月を意味し、Guru Purnimaは、グルに感謝の意を捧げる日。

「サンスクリット語のGURUのGUは暗闇(=無知)を表し、RUはそこに光を照らす者、すなわちGURUは、“無知を取り除いてくれる者”を意味する」のだそうです。

そんな日に開講されたWSは、正に大きな満月の明るい光に照らされている、そんな気持ちにさせてくれるものでした。

 

最初のクラスのテーマは腰痛。

いつもマスターに言われることだけど、
私たちは、痛みからなんとか解放されたいとあれこれやってはみるものの、「なぜ痛みがあるのか?」と痛みの原因を考えることをしていない。

痛みを一時的に感じなくなったとしても、原因を取り除かなくては、同じことを繰り返すだけなのに。

何かを“得る”ことは好きなのに、立ち止まり“振り返る”ことからは目を反らしてしまうのだ。
さて、では腰痛の原因は?

生徒達から、「姿勢」「体の使い方」「ストレス」などと声が上がる中、マスター・スダカーは、「不要なものを溜め込む」ことであるとおっしゃいました。

それは感情であり、老廃物であり、要らないものを溜め込んでいるとどうなるかを、お財布や銀行預金に例えて説明してくださった。

そして私たちの多くが、家族との間になんらかのわだかまりを抱えている、とも。

 

そして「家族の定義を知っているか?」

腰痛のテーマから「家族の定義」が出て来るとは思いもよらぬ展開に。

マスター・スダカーが話してくれた「家族の定義」に皆が思わず唸った。

 

F  = Father

A  = And

= Mother

I   = I

L  = Love

Y  = You

 

「お父さん、お母さん、私はあなた方を愛しています。」

ユーモア満載の言葉遊び。真剣に考え過ぎて、コチコチに硬くなった私たちの頭に、言葉遊びで答えるマスター。柔らかだ。

家族は愛でできている。

そんなお話の後、
「今すぐ、携帯電話を持って来なさい。」とマスター。

何が始まるんだろうと「?」顔の参加者達。

「来たな〜」と次に起ることを半ば予測しているヴィジョンオブヨガ生達。笑

出された課題は、「今すぐ両親に電話をかけなさい。」
そして「愛しています」と伝えなさい。

 

「参ったなぁ・・」と心の中で呟く私。

だが、「そんなことできるわけないじゃん!」と、思うより前に体が動いているから不思議だ。

 

「盲目的に従うな。」といつもマスターは言う。
けれどそこに、「電話をかけない。」という選択肢はない。

マスターが強要するわけではない。

出された課題は、今の自分に必要なこと、通らなければならない道なのだと体が知っているのだ。しかし体が反応した後に躊躇させる考えが次々に頭に登場する。

恥ずかしいな・・
親はどんな反応をするだろう・・

しかしマスターのWSに何度も参加していると、これらは、やるべき行いをジャマしようとする“弱いマインド”という存在であると知っている。だから邪魔される前に電話をかける。

普段から「何も言わない娘」と言われている私からの突然の電話に、「なんか変よ?何かあったの?」と訝る母。

仕方なく種明かしをすると、なぁ〜んだと言いながらも「それでも嬉しい。」と言ってくれました。

何も聞かず「元気ならそれでいいよ。」と照れ臭そうに喜んでくれた父。

そして不思議なことに、電話で言葉を伝えた後、
私の腰が軽くなっていた。

「腰痛」をテーマにしたヨガクラスで、こんな展開あるだろうか?

 

「病は気から」とはよく言ったものだ。

気が滞れば不調が現れる。
気づいていても、気づいていなくても。
それを体験させてくれたのだ。

 

いつも思うことだけれど、マスターが伝えようとしてくれていることは、表現は違えどもいつも同じ一つのことだ。

一つのことをいろんな角度から、光を当てて浮かび上がらせてくれる。それは能面のようだなぁと思うのだ。

能面は、演者の面の傾け方、光の当て方で、何通りもの表情を見せる。当然のことだが、演者はどうしたらどう見えるのかをわかっている。

マスターも同じだ。

わかっているから、いく通りにも光を当て、様々な物語として語ってくれる。

自分のものにする程わかっていない私は、教えられた一面、一方向にしか光を当てることができない。全体をつかんでいないのだ。

真に理解するとは、教えられてできることではない。咀嚼して、自分の中に取り込み、血肉となり、ようやく辿り着くのだろう。

最近、ようやく考えることが多くなってきたとはいえ、まだまだ与えられた栄養を消化吸収しきれず、未消化なまま通過させててしまっている。

 

続くヴイヤガラーサナ入門編では、アサナの名前である「虎」からヴイヤガラーサナの持つ意味や効能を考えることから始まった。

ヴィジョンオブヨガも受け、WSも何度も受講していると、聞いたことのある説明も少なからずある。

だが「聞いて知っている」は、本当の理解とは違う。だから、前回聞いた事のあった話でも、新しい感覚として私の中に残るのだ。マスターから聞いた言葉が私の血となり肉となるにはまた時間がかかりそうだ・・。苦笑

 

今回のワークショップでは、自分の理解の浅さ、そんなことを思った。

両親への電話は、正直なところ、ノリノリでかけたわけではない。だが、電話をかけてよかった、心の底からそう思う。

初っ端から涙腺が弱くなり、すっかり涙脆い1日となったが、私はまだまだたくさん溜め込んでいるんだなぁ、と気づかされた1日だった。

生徒の求めるものを与えるのではなく、生徒に必要なものを与える、それが師マスター・スダカーだ。

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