VOY継続学習に参加して

「わかりたい」と思う。
「わからせたい」と思う。

共にわたしのエゴ。

この思いが私の身体に不要な力を入れさせ、無駄に疲れさせる。
もう何度もこの癖をマスターから指摘されている。

マスターはいつも私たちVOY生一人一人の癖を見逃さず、的確な指導を逃さず、最適なタイミングでくださいます。

マスターのスケジュールは毎日びっしり埋まっていて、自由に好きなように過ごすことなどできません。

ひとたびレッスンが始まれば、参加者が何人だろうとすべての参加者の身体の特徴を把握して直接触ってお直ししてくださいます。私達レベルでは想像もできないその過酷な肉体的疲労を伴う責務を追行されるマスターの姿勢に深く感謝しています。

しかし、その激務の中であっても、生徒の前で決して疲れを見せたりせず、「これがダルマなのだから」と、ただ努めて、ヨガに合わせて生きるということを教えてくださるのです。

マスターは、そんな限られた休憩時間までも削って、私たちVOY生が希望すれば継続学習のために時間を作ってくださいます。

しかし、わたしたち生徒はまだまだ未熟で貴重なマスターの時間をこのように割いていただくに値するほどに自己鍛錬ができているのでしょうか。今回の継続学習に参加して自分のヨガに対する姿勢の曖昧さを痛感し、反省しました。

「立ち止って考えること」
「学び続けること」

マスターがおっしゃることは、いつも一貫して同じです。
生徒の側に受け取り咀嚼する力が必要です。

ともすると、わかったようなつもりになってしまいますが、ヨガとは頭の中で理解することではなく、またこの目に見える現実のみでもない、しかし現実この瞬間に身を置いておくことができなければ、何も理解することはできないのです。

正しいヨガを学ぼうと決めたのならば、マスターが話す言葉を理解しようと努めなければ、そのお話のただの上っ面だけしか見ることはできず、理解するところまでは至れない。

自分なりの解釈に留めるのではなく、
正しいヨガをそのまま理解する。

しかしわたしは一貫性のない自分の理解の曖昧さから、今までになく混乱しています。つじつまを合わせるように、自分に都合よくヨガを解釈するのではないのです。ヨガが何を言っているのかを理解しようと努める。

多くの側面を持つヨガ。
そんなに簡単に理解できるものではありません。

本当に、謙虚な姿勢で心の底から学び理解に至ったとき、力が抜けているのかもしれません。

 

「理解は脳ミソのレベルではない!」

 

そんな理解に至れるように、ヨガを信じて繰り返し考え続けていきたいと思います。

広島

 

 

 

 

 

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