シニアヨガTTC③で考えたこと

シニアヨガTTC①(20時間)で、
体中にある、幾つもの点を渡されました。

体の至る場所にマジックで書き込まれたそれは、本当にただのマジックで描かれたマークに過ぎず、何を覚えるべきなのか?さっぱりわかりませんでした。

「これを覚えて何の役に立つのだろう?」

WSとは、家に帰った翌日から使えることを教えてもらえるものだと思っていた私は「このマジックのポイント、一体レッスンでどのように役立てたらいいの?」と疑問を持ちながら、その意味を考えることもせずただ、ひたすら点(ポイント)を覚えるのだと理解しました。

シニア①の終了後ほどなく、シニア②(20時間)が開講されました。

シニア①で全く理解の域に達しなかった私でしたが、シニア②では何か自分のクラスで使えることを教えてくれるのだろうと期待もしつつ続けて受講しました。

しかし②が始まってすぐ、積極的な理解が足りない私たちは、ほぼ丸1日を費やしてシニア①の復習から始めなければなりませんでした。

それほど確実に、足踏みをするようにマスターは根気よくわたし達がきちんと理解するように教えてくださいました。それだけ、①の理解がとても重要だからです。

そして半年後シニア③(20時間)が開講されました。

 

そして、このシニア③において、私達はやっと今まで覚えてきた幾つもの点を線で繋ぎ、どのような時に使うのか教えていただけることになったのです。

同時にとても大切な受け取り、学ぶ姿勢というものにやっと辿り着かせていただきました。

 

ところがシニア①と②において、もっと「この点何に使うの?」「こんな時にはヨガ的にどうするの?」と、自分の身体と心に聞き続け、考え続けていたのならばシニア③ではもっと学びは充実していたはずなのですが、わたし達はまだマスターが教えてくれる、と積極的に学ぼうとせずいつも受け身で、ただ聞くだけで用意もしない。

マスターからもらったモノを使用目的もわからずに、
だた待っているだけだったのです。

そんな私達にマスターは、目を覚ますように!
いいかげんに殻を破ってこい!
と母親のような愛情で叱って気づかせてくださいました。

 

自分から学ぼうとする、自分のために学びたいと自分自身の身体と心にもっと真剣に目を向けて、ヨガの力を信じて学ぼうと心の底から思えなければ、理解できることはないのです。

 

理解とは、外側にある事など決してなく。
求めたら手に入るものでもない。
理解とは内側から訪れるもの。

マスターはいつも、「アサナの方からやってくる。」
とおっしゃるけど、そういうことなのだ。

たくさんWSに参加したから、あるいは多くの本を読んだから理解できるわけではなく、マスターが教えてくれるのでもない。

「なぜなのか?」「どうして自分はこうなのか?」と自らの身の内側に視線を向け続けていかなければ、決して理解するところまでには至れずに、せっかくマスターから教わっても、ただの情報で終わってしまうのです。

しかし一度理解したならば、
それはわたしの血、肉、そして魂となる。

それは決して肉体のレベルに留まらないのです。

ヨガの効能を享受するとは、欲しがらず、謙虚になってただ大きな力を私の方から理解しようと努めることなのだと、マスターから同じことを1年以上言われ続けて、やっとスタートラインに立てたような気がしたシニア3でした。

③

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