20日間の学びを終えて出合った逃げない自分

今お世話になっているヨガスタジオCITTAに入った時、すでにchigusa先生はじめインストラクター数名がマスタースダカーのティーチャートレーニングを終えていた。

そして口をそろえて言うことが
『とにかく自分で受けてみるといいよ』

なにがそんなに良いのか?
集団で信仰してることから疑心感たっぷりで、ワークショップも避けていた2012年。

ようやくワークショップを受けたのは2013年夏。

受け終えた時なんともいえない衝撃で、私にとってマスターのクラスを受けることは何かが動き出すきっかけになる。と感じたけれどやっぱりなんだか怖かった。

怖いながらも引き込まれるように何度かワークショップを受け続け、ある日自分の為にいまヴィジョンオブヨガを受けたい。という感覚に駆られ即日申し込んだ。

マスターは何十人いてもかならず一人ひとり顔が見えるようにぎゅぎゅっと人を集めて、一人ひとりの目をゆっくりを見ている。ワークショップを受けているときなんだか怖い。。。と感じたのはその目だった。

そしてティーチャートレーニングが始まってしばらく、その目で私をじっと見られるのが怖かった。

『きみたちは自分のリーダーなのか、それとも奴隷なのか』
『真実を見つめる勇気を持っているのか』

そんな問いかけがあった時、ずっと怖いと思っていたのはマスターに見られていることが怖いのではなく、自分で自分の真実を見る行為が怖いんだ。ということに気づく。

理想を描き、波長が合わないと傷つき・・同調することで嵐を起こさないようにして、同調するエネルギーがだんだん溜まってゆき結局自分の内側に見えない傷となっていた。

ヨガをビジネスとして、こないしていた為に、とにかく数をこなしてお客様として接客をし、”美しいアサナ”のポーズを教えていた。ヨガの試験の一つに、柔軟性があったので、お風呂上がりに柔軟をして、腹筋と背筋を毎日して、憧れられる綺麗な先生を作り上げていた。

それがヨガだと思いこんで続けていた。

比べないことを掲げながら綺麗な先生の写真をデスクトップにし、波長のあう先生を探し、合わなかったら先生をかえる。レベルアップのためクラスを移動する。

ポーズをやりたい!という気持を先行する。
結果、ココロもカラダも傷つけ、怪我をし、ヨガを一時やめた。

求められるほうに合わせる方がラク。

と思ってきたけれどその逃げが、目に見えないストレスとなり体に溜まっていたことを、今夏のヴィジョンオブヨガ中に、ヨガのポーズ、アサナにより体感した。

嬉しくもなく、悲しくもなく、痛いわけでもない。
ただただ涙が止まらなく、自分へ対して「ごめんね」という感覚が生まれた。自分に何が起きたのかわからなかったくらい、今まで見つめることから避けてきたんだと思った。

そしてこれが本当のアサナの効能なんだと体感した。

だけどいまは、そこに『体感した』という感想しかないのが現状。

マスターと円さんの言葉をお借りすると
『流した涙は渇きやがて消える』

だから、行為を続けなければ、この体感もただの“感想”だけに終わり、この思いは消えてなくなって、もとの良い人を身を削りながら描く人生に戻り、溜め込んだ感情をポイポイ背中のリュックに放り込んで、腰が痛いことを年齢のせいにしたり姿勢のせいにして病院や整骨院などに通い、自分を見つめる時間を忘れていくのだろう。

学び続ける忍耐
見つめ続ける勇気をもつこと
巻き起こる仕組みを考え勉強すること

わたしの課題はここから。

すぐサボる・・これをクセとするのか、逃げとするとか、気づきととらえるのか。そうして今まで生きてきたんやもん!の一言で終わらせないように。

学びの仲間たちが居ることも私にとって大きな刺激であり大きな安心感。

最終日マスターから言っていただいた
『気づいたことを今度はアクション(行動)に変えること』

誰の為でもなく自分のために、決意する、、、?
感情に素直に、流れに乗る、、、?

私の現状では、言葉に上手に変換できないが、
これはきっと、忍耐の先にいつか訪れる理解なのだろうと思う。

1

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中