ヴィジョンオブヨガ京都 〜新しい旅の始まり〜

ワクワクと不安を胸に京都で始まったVOY。

自己紹介と共に、なぜVOYを受講したのかを皆の前で話し、自分がなぜここにいるのか?再度考えた。

私はずっと人は何の為に存在し、生まれ、生き、死んでゆくのか?私とは何なのか?を探してきたように思う。

約10年前、にヨガのアサナというものに出逢い、まるで淀んでいた部屋の窓が開かれ新しい風が入ってきたような感覚を感じ、それから夢中になってヨガをしてきた。今思えば、自分がどこへ向かっていて何をしているのか見えておらず、ただ闇雲に走って、自分も他人も傷つけてしまっている事も多くあった。

2013年に初めてマスターや円さんに愛媛でのWSでお会いした。

ヨガとは何か?というシンプルな問いに、明確な言葉で答えられない自分がいた。自分が行ってきたヨガが正しいものではなかった、、、と強く感じ、驚きと混乱の風が私の中に起こった。と同時に真実を知りたいという気持ちが湧いてきた。

学び見つめ直そうと今回の京都へ参加し、そして今回のテーマは(REAL)と言われた時、私は有難い事にいるべき場所にいるのだと思えた。

 

早速クラスが始まると内面と向き合う、自分がどういう観念を持っているのかを見てゆく事になった。私達の耳に痛くも、マスターは愛のある厳しい言葉で丁寧・・時にユーモアを交えながら、あらゆる角度から私達が気づき理解出来るようにアプローチしてくれる毎日。

その日々の中で一番言われたことは『考える事』

自分で考え、内側から答えを見い出し、それが理解となる。だから自分の言葉で伝えられるようになるんだと。

内面と肉体、両方から学ぶこのヴィジョンオブヨガで、マインドが肉体へ及ぼす影響がどれ程大きいかを体験し思い知る。すべて繋がっている。

ヨガとは肉体的、精神的(内面)、感情的、知的、社会的、魂、すべてに係わるもの。私達はそのすべての側面において理解する必要があるのだと。それはまさに、人間を学ぶ日々。人間を知る事が自分自身を知る事につながるのだと、マスターは言う。

 

とても奥深い。

まるで大自然、宇宙と向き合うような、、気の遠くなるような壮大過ぎる世界でありながらも、同時に、とてつもなく私たちの日常に身近な学びだった。

ただの机上の知識ではなく、その知識(叡智)の一辺を人生の中で体験することができたこの20日間はとても貴重だった。

そして、着色せずにヨガの叡智を生き行動するマスターは、どこまでも人間味溢れていた。神聖さと人間味を持つことは相反するものではなく一つに結びついているんだと、マスターと20日間共に過ごすことで感じた。

私が今までしてきた事はヨガのようなものであって、ヨガではなかった。ヨガを勝手に自分の都合のいいように解釈し色付けて、理解しているつもりになっていた。そう分かり、持ってた道具が全部なくなった気分だ。

でも、ヨガの学びとは、付け加えていくことでなく、タマネギの皮を剥く様に、REALを覆っているものを、一枚ずつ取り除いていくことなんだと知り、手持ち無沙汰になったことを悲観するどころか、身軽になったことがどこか嬉しい。

長い長いヨガの道。そこを歩くだけの情熱と覚悟と叡智を受け取るに値するだけの器が今の自分にあるのだろうか?とふと思う。

それでも、“今のまま”ではなく、“ありのまま”のREALな自分へと向かう為に、快適ゾーンに留まり暖かい衣を幾重にも着込むことなく、一歩先へ新しい旅をここから始めよう。

ヴィジョンオブヨガ修了と同時にスタートだ!

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