藤沢WS “自分と対話する”2 日間

1日目は、内面との対話。

(説明文では1日目が肉体との対話、2日目が内面との対話、だったのだが、手違いで逆になった。けれど、そのほうが理解しやすかったように思う。そして 2 日目にはそれさえも、“受け入れる”お話へと展開していくマスター・スダカー。)

では、自分自身と対話するとは?というマスターからの質問。

確かに、“対話”する、と簡単に言ってしまうけれど、それがどういうことなのかきちんと言葉で説明できない。

人は聞きたいことを聞き、見たいものを見てしまい、内にあるはずの第三者の視点を無視してしまう、ということを身近な例え話で図も交えながら詳しく説明してくださる。
私たちは、何かをするとき、それは反応(reaction)なのか、行動(action)なのかを考えるべきで、反応ばかりしてしまうとき、それは自分自身を失っていることなのだ、と。

論理的な言葉で説明できないとき、そこに残るのは感情のみとなり、知性がなくなり、結果知的な判断ができなくなる(自分自身が何をしているかわからなくなる)。

状況に反応せず、行動だけをすることが自分自身と対話するということなのだ。この、“反応と行動”の関係がとてもわかりやすく理解できた瞬間だった。

“過去は変えられないけれど、これからは感情にまかせて反応することをやめることはできる”。

過ぎたことを思い悩みやすい私にとっては、マスターの言葉はいつも光のようだ。
自分のマインドはゴミ箱のようなもので、その中を掃除して空にしていくのは自分にしかできない。自分のゴミには責任を持とう、と改めて思った日。
1日目は、最後に少しフローも行い、翌日の“肉体との対話”に繋がっていくお話で終了。藤沢3
2日目。肉体との対話。
完璧とは?というお話からスタート。
perfection の語源は古代ギリシャ語で“反映、投映”という意味だそうで、そう考えると私たちが捉えている完璧とは少し違うような気もする。ここでもまた、日常生活での例え話で、完璧とは一体何なのか、とうことを私たちに伝えようとしてくだるマスター。

”皆それぞれの完璧があり、それをお互いに受け入れることが完璧なのだ。”

皆それぞれの場でそれぞれのやるべきことをしていて、そのことを受け入れられない時、怒ったり悲しくなったり、知的な判断ができなくなる(=前日の、反応と行動のお話に繋がっていく)。
自分の感情を表現し伝える言葉を持っていないとき、説明できないとき、反応し、否定的なことばかりを繋げていってしまう。
そしてそういったことで、自分の体内にどんどん結び目を作っている。私たちは、こうして自分で自分の体を痛めているのだ。

そんなお話から、私たちが自分で作ってしまった結び目をほどくためのフロースタート。

自分の体なのに、意識できていない部位のなんと多いこと!
マスターのフローを受けると、もちろんとてもきついのだけど、自分の知らなかった体を発見することができて、毎回感動する。そして、そこがどういうふうに内面と繋がっていくか、ということを身をもって体感できる。そんなふうにとても大きな視点でヨガを説明してくださるマスターに出会うことができて、幸せだと思う。

2 日間通して学んだことは、まさに“自分との対話”の方法だった。

いろいろなことが日々起こり、いろんな人がいて、けれどそれを“これが私の人生だ”と受け入れることができたら、何も心配することはない。
“Respect and love myself.”
それは決して自分勝手に生きる、ということではなく、常に第三者の目を持って、正しい
行動をしていくこと。それが“ありのままの自分”でいるということ。

もちろん多大なエネルギーが必要だけれど、それを導いてくれるのがヨガなのだ。

藤沢4

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