シニアヨガ TTCⅢの補講を終えて思うこと

シニア TTC パート1~3まで60時間をかけて学んできた!はずの私達チームエレファント25名は、度重ねてきたトレーニングの効果もなく、未だに積極的な思考や行動がないままタマシック(怠慢)な日々を送っています

これまでに3回マスターの元に集まって、都度叱咤され鼓舞されてきたのだが、慣れ切った快適エリアからなかなか一歩を踏み出すことができないのです

自ら考えて行動を起こすこと。

なぜそうなるのかと、物事の本質を見ることを練習しなければならないと、何度もあの手この手でマスターが気づかせようとしてくださるのだけれども。

いつまでたってもノートの中でだけ理解したつもりになっていて、現実自分の目の前で起きている事については全くの今まで通り。

過去の経験の中からその問題にピッタリ当てはまる答えはどれかと探すことをやめられないのです。

”今見たこと、今起きている事には今どう対応するのか”考えられないのならば、

散々マスターから教わってきた「人の顔色をうかがう」「まわりと合わせたがる」などのこれまでの自分の怠慢さを手放し、言い訳せずに現実をそのまま見ることなど全く無理な話なのです。

そしてそれができないのならばヨガからの恩恵も受け取る事などほど遠く、

ヨガから受け取った快適をまた社会へ還元することなど考えるにも至らないのです。

しかしマスターは、この未熟で成長の速度がゆっくりな私達チームエレファントに根気よく寄り添ってくださいます。

その成長の向く先は自分の身勝手な欲望の種を育てることでは決してなく、ヨガという大きな力の中で成長できることに感謝をし、その先にあるものを見るように、

決して自分だけのために標準を合わせるでなく、その視野は大きく外側へ広げていくようにといつもおっしゃいます。elf2

私がヨガを始めきっかけはそんなものではありませんでした。

甘く自分勝手で都合の良い欲望を満足させるために始めたヨガ。

その時は私だけがヨガというツールを使って一時幸せになればよいと思っていました

しかしそれは大きな間違いで、私とはさほどの大きなものでもなく、この大宇宙の内では小さなチリのようなものでしかなく

長い歴史の中で受け継がれ続いてきたヨガの智慧の前において、がチリほどの存在であることを思い知ったならば、確かに謙虚にならざるをえないのです。

そして謙虚になって今この幸せの日々が私達にもたらされていることに思いを致したならば、何をしなければならないのかは自ずと見えてくるはずなのです。

たったの60時間を終えただけの私達に、マスターは飛躍的な成長を求められるけれど、きっと無理な事ではないのでしょう。

『すべきなのに、自分でできないことをさせるのが師の務め』とおっしゃるマスターは、いつも私達の背中を押してくださいます。

今までの物の見方決まりきった考え方を変えたとしても未だに過去を引きずった自分ではなく、現在のリアルな自分の視野でることができたならば。

私達が観る方向は自分の足元だけではなく、もっともっと遠くまで見渡すことになるのだろうと、

マスターはそんな人間になりなさいと私達の成長を後押ししてくださるのです。

しかしそれこそがヨガの効能なのかもしれません。

何も知らずにヨガを知ろうとしていたけれども

「私はなぜ幸せなのかを考え、その考えにのみ従って行動すること」

それがヨガだということなのかもしれないと

先に見える小さな光の点が指し示すところはどこなのかと、

少し視野を広げられたような気がするシニア TTC 補講でした。

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