一日集中講座@四国愛媛

クラス目、ヴィヤガラーサナフロー。

まずは「ヨガが社会に及ぼす影響とは?」「ヨガの先生の資質とは?」のお話から。

みんなでシェアしながら話し合っていく。

・その影響は社会全体に及ぶので、ヨガの先生は、生徒よりも学ぶべきである。

・今の日本のヨガは、盲目的に従うのみになっている。=どこかで終わってしまう。

・ヨガの先生とは、生徒に欠けているもの、足りないもの、を気づかせるのであって、その場でのお互いの自己満足の繰り返しでは意味がない。

・原因に向き合うことをせず、1時間のクラスがその他の23時間に影響しないのであれば、それはヨガではない。

人の何が欠けているかをしっかりみる能力が、ヨガの先生としての社会的役割。

そんな耳に痛いお話から、ヴィヤガラーサナの性質に繋がっていく。

前日の徳島WSでもお話があったが、ヴィヤガラーサナから学ぶべきは「強い決意」「執着からの解放」である。

執着は、必ず苦しみを生む。辛い、悲しい、苦しいとき、私たちは弱いマインドに引きずられている。

自分より問題が大きいとき、その問題に飲み込まれるが、問題は人生のうちのひとつの問題だ、と受け入れられれば、その問題よりも自分が大きくなる。

これが、弱いマインドに引きずられない、ということ。

どんなことが起こっても、受け入れ、その中でいまを楽しむことが大切。

そんなお話のあと、ヴィヤガラーサナフロー。今回も、前日とはまた違ったフロー。

大汗をかきながら、必死で動く。pono4

クラス目、ヨガセラピー入門。

ヨガは、そのものがセラピーであるべき。

そこで、では、ヨガとはなにか?というマスターからの質問。

両極のものを繋げること、と回答があったら、すかさず、では、繋がるとは?との質問。

例えば、太陽と月が繋がるとは、太陽が月になるのか?月が太陽になるのか?

いや、繋がるとは、コミュニケーションだという。

物理的にひとつにならないものも、対話することで繋がりを感じていく。これが~なのだ、とお互いがお互いを認められることこそが、union

好きなところと嫌いなところが両方あるのは、愛ではない。すべてを同じように受け入れて初めて、愛になるという。

ここは好き、ここは嫌い、その二重性がある限りストレスが生まれ、睡眠に問題が起こり、やる気が出ない、食欲に影響も出て、薬など何かに執着してしまう。そうすると体は緊張し、内臓へも悪影響が及び、日々感情的に生活してしまう。

結果、知的な判断ができなくなり、仮面をかぶった生活を送ってしまうことに。

うして、私たちの「内と外」はどんどん異なってしまっているのだ。

そこで、体に不調がある6名の参加者が前に出る。

トイレの座り方、そこでの呼吸の仕方も皆で練習。

マルマポイントをペアワークで刺激。特に不調があった参加者は、その違いに驚いていた。

予定していた休み時間も惜しんで、そのままヨガセラピーのクラスを続けることに。

今回は、膝、股関節、腰、首・肩へのアプローチを、それぞれのマルマポイントを学びながら実践。

汗をかいて、涙を流し、時には絶叫しながらも、素晴らしい気づきの時間だった。

「ひとりが変われば、社会が変わる」ことを理解し、正しいヨガをヨガとして、伝えられるよう学び続けたい。

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