2015年の日本での最初のWSに参加しました。それは1年を始めるにあたってマスターがわたし達に送りたいメッセージが込められたWSでした。
“Yuj” ヨガの語源となるこの言葉は「繋がる」と言う意味なのだそうです。
この日の身体の練習は「マンダラフロー」、マンダラとは途切れることがなく繋がっているという事です。
難しい、途切れることがないこと。
辛いこと、嫌なこと、上手くいかないこと、そんな出来事に直面した時、わたし達はなんだかんだともっともらしい言い訳をこしらえて問題から距離を取ろうとします。マスターはそんな事も「嫌い」なのではなく「好き」になることだと思考を切り替える練習をするようにとわたし達におっしゃいました。
それは大変に難しい練習だけれど、苦手だと思っているそれは一体何時から?どうして?苦手になっているのだろう?そもそも、そんなに嫌う事なのか?実際取るに足りない事なのではないか?「やってみよう」と思わなかっただけなのではないのか?やってみる努力が足りなかったのでは?
繋げ続けていくには、大変な努力が必要です。そもそも「好き」と「嫌い」は両極です。その両極にある全く違うものを理解して受け入れることで端っこの存在しない、途切れる事のない円ができる。それを作るように練習することがヨガの練習だそうです。
始まったら終わりはない、繋げていくためには何が足りなくて、何を補ったらいいのかを目をそらさずに、根気よく見ていけば必ず解るとマスターは教えてくださいます。
同じ動きを右から左へと途切れないように繋げていくとカラダの内側から「右はいいけど、左は動きにくい」「前はいいけど、後ろは苦手」と今まで気づかなかったいろんな声が聞こえてきます。その声を聞いてその部位の主張してくることは何だろうと歩み寄って理解しようと努めることで、また1つ繋ぐことができるのだろう。
今だけだからと目を瞑りながらごまかして通り過ぎることも出来るのかも知れない、だけれどその問題はまたやって来る、その時もわたしは同じように言い訳で取り繕いながら苦い思いをするのだろうか?そんな自分に疲れてはいないか?
マットを下りた現実の実生活で振る舞うわたしの言動と同じ事をわたしはマットの上でもやっている。だとしたら、マットの上でどう動くか、何を思うかを練習すればマットを下りたわたしの人生も今までとは違ってくるはず。いつも同じ慣れあいな練習をくりかえし、自己満足なヨガをすることなく。そんなのはヨガではなく。
長年の思い込みや、自分で作った常識にしがみつくことなく、変化することを恐れずに、変化を受け入れ、変化を楽しむこと。
変わらない事など世の中に何もなく、全ては変化していくのです。変わらない自分のままで、思い込みの言葉を吐き、思い込みで人を評価し固いマインドで生きづらい人生を送ることなく。
ただこの「受け入れて、繋げていく努力」をしていくことで、わたし達は肉体だけでなく、その内面も完璧な円になるのだそうです。