マスターフローを体験して

マスターフローの「マスター」とは何か…そんな話から始まったクラス。

「エゴ」は誰にでも存在しているもので、その種を大きく育ててしまうのは、結局は「自分自身」であるという話を聞きつつ…。

この日、飛行機での移動のせいなのか、珍しく股関節が不調だった私は、「この違和感はエゴの現れなのかもしれない」と思ってしまった。飛行機のせいじゃなくて、マインドの仕業に違いない…と。

問題は、体がおかしいと嘆くのではなく、自身としっかりと向きあって根本的な原因を知ることなのだ。自分が勝つのか、それともこのままエゴを増幅させてしまうのか。

「マスター」とは「本来の自分」であり、このマスターフローは自身と対話するためのツールなのだろう。

フローは、ヴィアガラーサナから始まるのかと思いきや…いつもと違う展開。

アレ?と思いながらも「次はどうくる?」とワクワクしながら楽しんでいた。

途中、股関節に痛みは走ったものの、その痛みよりも自分の体と心に冷静に向き合っていることを実感できたのが何よりの収穫だった。

以前は、フローの最中に何をしているのか訳が分からず、できないことにいちいちイラついたり、周りが気になったり、できないことに落ち込んだり…。

自分と向き合うことができず、自分がそこに存在していない状態だった。

できないことはできないこととして受け入れ、でもひたすらに向き合う。flow2

自分のマットからはみ出し、人のマットに侵入し、肉体は全然違うところにあるけど、存在しているのは確かに自分なのだという感覚。

フローの回数が増えるとともに、大事なことは何なのかを感じるようになったと思う。

フローの出来は完璧ではないし、美しいポーズを決められるわけでもないし、順番も殆ど覚えていない。(本当は覚えてないとダメなんだろうけど)

けれども、2012年のヨガフェスタで初めてマスターのフローを体験した時とは明らかに感じ方が違う。体も心も。

フローをしながら、自分に足りないもの、気づいたらラクになっている部分、そして、まだまだ手放せていないもの等…いろいろなものが見えてくる。

自分の中にそういった様々な感情が沸き上がってくるけれども、それは動的ではなく静的なものだ。

そしてフローを終えると、体も心も軽くなっている。

体の中にスペースができて、そこに心地いい風が吹いている感覚。

そんな余韻を味わいたいせいか、フロー後は暫く言葉を発したくない。

2時間のクラスが本当にあっという間に終わってしまった。

マットの上で自分の内側に向かいあった2時間はそれで終わりではなく、

マットから降りた時からが新しい始まりなのだろう。

このようにに思った2時間のクラスでした。

flow

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