座学 マインドフルネスとマインドレス

昨今、「マインドフルネスとマインドレス」という言葉が巷に飛び交っていると聞いた。

TVを家に置かなくなって早10数年。流行りの言葉にはまったく興味なしだが、この座学を受ける前に言葉の意味をGoogleで調べてから臨む。

ところが、マスターのいう「マインドフルネスとマインドレス」は、巷で言われている意味合いとまったく異なる見解だった。

開口一番「心から言葉を口にしているか」という質問から始まった。

「自分の内側を信じているか。それとも外側を信じているのか・・・」

こどもの頃、自分の意思を示せば、我が強いと言う。疑問を持てば、そういうものだからと一方的に打ち切られる。

楽しいことももちろんあったが、いろんな環境で不安に駆られ、心細さを感じながらも、段々と周りに合わせるようになっていき、いつの間にか自分というものを出さなくなっていった。

成長するにつれ、自分というものを確立したくても、自分に対して何が良くて何が悪いのか、自分は何を求めているのか、それさえもわからないまま、10代20代と摂食障害に苦しんだ。

何かを埋めるために外側外側へと追い求め、常に満たされない何かを抱えていた。

自分を正当化し、弱い自分を見せまいと平気な振りをし、完全に自分を外側の世界に合わせ、自分の内側の存在にさえも気付いていなかった。

なぜ自分はこうなのか知りたくて、様々な本を読み、段々と自分の問題が何であるかがわかってくると、なんとか問題を克服しようと、周りを変えようとするのではなく自分が変わろうと、ひたすら心の平安を求め、長くはかかったが様々な変化が訪れるようになった。

その頃からだろうか。自分の想い=内側を信じるようになってきたのは・・・。

自分の内側を信じられるようになったことで、数年後には摂食障害も治まっていた。

しかし、心の奥底には自分では気付いていない何かを抱え、根本的には変わっていなかったのだと思う。

マスターに出会うまでは・・・。

11080880_10206119104874593_433346990037885034_n

「99%の信頼があっても、1%の疑いが勝つ」とマスターは言います。

自分の内側に信頼がない限り、外側をどんなに信頼しても立ち向かっていけないのだ、と。

私達は常に過去や未来に囚われて、「今」を生きていない。

過去に囚われている限り、人生において何を変えても同じなのだ、と。

そして私達の「今」にかけているものは「愛情」と「信頼」なのだ。

私達が、考える、行動に移す、その理由は、一体どこからきているのだろう。

「怖れ、疑い」からなのか、それとも「愛情、信頼」からなのだろうか。

口にする言葉には、愛がこもっているだろうか。

それとも、義務で口にしているのだろうか。

それさえも気が付いていないのではないだろうか。

「心からの想いを口にすることがマインドフルネスだ」と、マスターは言います。

常に自分の内側にあるものを他者に見る、ということ。

他者に対して感じる印象や感情は、他者そのものではなく、実は自分自身が持っている印象、感情を見ている=それは、他者を見ているようで、実は自分自身を見ているんだ。

他者を批判しているつもりでも、自分自身を批判していることになり、他者を受け入れられる時は自分を受け入れられているということ。

自分の内側次第で世の中の見方が変わってくるのですね。

それならば、私達は一体なにで内側を満たすべきなのだろう・・・

「ものの見方、思考(マインド)をゼロにすることは出来ないが、教育、修正していくことは出来る」とマスターは言いいます。

疑いというものの矛先をどこに向けるのか・・・。

「自分自身でも見過ごしてしまいがちな小さな疑い、変化を見逃さないこと。」

これが、VOYの初日に着る白い服の所以でもあるのだな。

服に少しの汚れがついても白い服ならば、すぐに気がついて、自分で洗い落とすことができると教わった。

それは、自分の心をいつもまっさらにしておくことで、小さな心の汚れにもすぐに気がついて、自分で汚れを落としていく=修正していくことができる、ということでもあるんだ。

常にベクトルを自分にむけ、囚われている境界線を越え、ボーダレスで生きる。

それが、「マインドレス」ということ。

マインドレスとはニュートラルな状態であり、つまり、リラックスすることなのだ。

そう生きることで、「チッタ・ブリッディ・ニローダハ」がやってくるのだと・・・。

マスターに出会って初めて、自分の問題が全て「怖れ」から物事に反応していたのだと気付くことができた。

そして、前日の眠りのセラピーも含めた今回の2日間で、まだまだ自分の奥底の深いところに怖れが根付いていることに改めて気付かされた。

「内側の恐怖心に負けることなく、日々を楽しむこと」

「すべてはうまくいくと自ら信じること」

マスターの教えを実践するようになってから、日常の中の嫌だと思っていた出来事が、まるで宝石のようにきらきらと輝き始める瞬間がある。

神様は、あらゆるところにいて常に私達に手を差しのべてくださっているのに、それに気付かないのは私達なのだな。

身につけているその鎧を一つ一つ外し、少しずつゆるめ、奥深いところにある結び目をほどいていく・・

そうすることで内側に愛が溢れ、どんどん満たされていく。

そんな体験を日々繰り返していくと、自然と感謝があふれ、何か心が揺さぶられることがあったとしても、そのことに対して感謝の気持ちが持てるようになってきた。

まだまだ揺れる自分自身に気づけるきっかけをくれたと。

内側に怖れを持つのか、愛で満たすのか。

怖れを持つならば、自身に鎧をつけていくことになり、愛で満たすならば、その愛は放射線のように内側から広がっていき、自分の鎧をも溶かし、周囲にも愛を満たしていく。

大きな変化が必要なのではない。

ベクトルの向きを内側にただ変えるだけでいいんだ。

マスターは私達の肉体にアプローチするだけだ、という。

「内面を掘り下げる」のも「体験する」の、私達自身にしかできないことなのだと。

以前は、マスターと対面することが怖かった。

弱い見たくない本当の自分自身を見せつけられるから。

でも今は、自分では気付けていないまだ見ぬ自分を、マスターを通して見つめられることが、何よりも楽しみとなってきている。

こんな内側の変化を日々自分で発見していくこと。

日々、瞬間瞬間を楽しみ「わお!」と思いながら生きていくこと。

マスターが一貫して伝えたいことは、ここにある。

アーサナができるできないじゃない。

そうして一つの気づきがやってくるたびに、身体の奥深いところの結び目が緩んでいくのを感じられるようになってきた。

今の私は間違いなく確信している。

たとえ何かの理由でアーサナができなくなろうとも、

ヨガを通してこれからの人生をより深めていくことができると・・・・。

10402790_10206119120074973_4237728964149328473_n

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中