待ちに待ったヨガセラピー”首“編

待ちに待ったヨガセラピー”首“編。

腰編、肩編と体の下部から上部へと辿ってきたヨガセラピーのシリーズ。

腰はたまにだるくなる、肩は昔無理をして痛めた、首は二年前に痛く痛くて泣いていた私。それぞれのセラピーシリーズが私には必要不可欠なものだった。

この世に「〇〇セラピー」「〇〇療法」というものは星の数ほどある。そもそも何かに困っていて、何かに悩んでいて、どこかの痛みに耐えかねて、私たちは自分の為に、自分に最も適していて効果のある「〇〇セラピー」というものを探していて、セラピーと聞けば飛びついてしまう。

何らかのセラピーを受けたなら、受ける前よりは良くなっているのが当然と思う。良くなっていなければ、そのセラピーは自分には合っていないのか、またはまったく効果の無いものだ、と結論づけるだろう。そして、また別のセラピーを探して貴重な時間とお金を無駄にしてしまうのだ。

そもそもセラピー(療法)というものを、楽に、早く、苦しみをなくしてくれる魔法のようなものと考えている。私も以前は、高価な注射を一本打って痛みから解放されたら、どんなにいいか、とまったく他力本願な考えの人間だった。

そんな私に、マスタースダカーは、自分と向き合うことの大切さを気づかせてくれた。自分以外の誰かがしてくれることに頼るのではなく、自分自身こそが自分のセラピストになること。ヨガを通して自分のバランスを取り戻すことで、ヨガがセラピーになるのだと教えてくれた。

自分の苦しみを解消するのは自分以外にはいないのだ。なぜなら、その苦しみは自分が作ってしまったものだから。そのつまりは、私自身の物事の考え方に起因していたのだから。そのことに気づいた時、私の肉体の苦しみは少しずつ薄皮をはがすように消えていったと思う。mutu1

腰編、肩編、今回の首編と背骨にそって下から上へフォーカスしていくワナカムヨガスクールのヨガセラピーシリーズ。もちろん肉体に働きかける様々な動き(見たことの無い、これがヨガ?というような)をたくさん教えてもらえるのだが、マスタースダカーが生徒に最も訴えたいのは、自分の内面と向き合うこと。

腰であれ、肩であれ、首であれ、あるがままの自分を知ることなしにその不調の原因を知り対処法を見つけることはできず、根本的な解決には至らない。

ひと月に一回、3回シリーズで開催されるヨガセラピーシリーズ。次回まで生徒は徹底的に自分の内面と肉体と会話をすることになる。簡単でもお手軽でもない。時間をかけ、じっくりと、時には迷いながら、混乱しながら、考えながら、教わったことを実行していく。

それは、もはや理屈や技術を超えたもの。ただ、マスターの言葉を100%信じて、Yogaを信じて実践あるのみ。

“Yoga is experience”

ヨガは経験すること。ワクワクする冒険だ。このスリルある冒険の先にたくさんの笑顔が待っているだろう。mutu2

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