ヴィジョンオブヨガを受講して~2015広島~㉔

最近の私自身の身辺が目まぐるしく変化しているのは間違いなく、これまでの自分では至らなかった考え方をするようにもなってきています。

今後の自分の人生、仕事、ヨガはどうしたいのかについて考えながら、体調が整わないまま、とにかくやるのみ!そんな感じで始まった後期の10日間でしたが、実は今までの中で大いに成長できたのではないかと実感できた10日間となりました。

VOY京都から先輩としての役割を果たそうと、たくさんの再受講生が参加していたこともあり、わたしは今回あえて少し皆さんから距離を置いて参加してみようとなるべく全体を見て行けるように努めたつもりでしたが、見ているだけではなく積極的に声をかけていかなければと思うのだけれど、さて一体具体的にコミュニケーションを取るとなると・・と実践としてはなかなか足がすくんだ状態になり思ったようにはいきませんでした。

ただ、コメントを求められた時にはなるべく愛を持って答えられるように、今までになく言葉を選別してよく考えてから発言するように努めました。

全体に向けて声を掛けるようにしましたがこちらは足りませんでした。前期の初日にマスターから「お前の成長と人の成長は違う、よく考えて行動しろ」と言われていました。

そんなこともあって、私自身よりも全体、1回生2回生の参加者が何を発言したりどのように動いたりするのかも俯瞰しながら、上手いサポートが出来ないものかと考えましたが難しかったです。

1度目のVOYでは、わたしの人生今まで上手くいっていましたと装う事に頭がいっぱいで自分の内側を覗く事など恐ろしすぎてとても無理でした

2回目の京都では環境のせいか?変わらない友人の影響か?「変わりたい」と思い始めていました。3回目の広島前期でマスターについに雨戸を開けてもらったような清々しさを感じていました。

「あぁ、今まで暗闇で目をつぶっていたのかもしれないな」とういうのが広島前期の後の感想でした。

ショックと混乱を抜けるとそこは本当に清々しかった。今まで母にも自分を偽り、疲れるからと正面から体当たりすることを避けていたけれど、最近は面倒でも都度電話して、泣けてきても今の思いを聞いてもらって「助けてね」と素直に気持ちを伝えることが出来るようになってきました。

考えられない事かもしれませんが今までの私はYAMAの1番目にAHIMSAがくることについて、疑問すら持たずにYAMAとNIYAMAを暗記しようとしていました。もちろんいつまでたっても頭に入らなかったのですが、YAMAの1番目がなぜ?AHIMSAなのか、やっと初めて疑問に思ったのも後期広島から帰宅してからの事です。

もしも傷ついていたら、傷つける行為をしてしまったと自己否定から傷を負っていたら、痛くて何もできないのかもしれません。この当たり前に最低の所が健康でなければ何も始められないのではないでしょうか?

わたしもYAMAとNIYAMAを実践しながらASANAまでの長い道のりを進んでいきたいとヨガを学んで生きたいと今ようやく思い始めたのかもしれません。ASANAの先のPRANAYAMAに至りたいかはまだ解らない所ですが、マスターから指摘していただいたように、好きではなかった勉強をして揺るぎない土台を作って上に積み上げてみたいと思い始めています。

水が無ければ波紋は出来ない

空間が無ければバイブレーションは伝わらない。

AHIMUSAは愛情、愛が無ければ非暴力などあり得ない。

根底に確かな土台を作り、愛情の土台からヨガをYUJして行こうと思います。km

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