ヴィジョンオブアジャストメントを受講して

WSの冒頭、この日の早朝、母国インドでマスターの最愛のお母様がお亡くなりになられたことを知る。全国から集まった私たち生徒を想い、深い悲しみの中であってもその夜の最終便ぎりぎりまで、ヨガを伝えることを選択されたマスター。そこにいた誰もが瞬時に悲しみに包まれる中、マスターから頂いたこの掛け替えのない貴重な時間を前に、これから自分たちがすべきことは何か、学ぶべき姿勢について改めて考えさせられながらスタートした。

「アジャストメントとは何か?」マスターは問う。
肉体、感情、知的の3つの側面があるアジャストメント。肉体はアサナに限定することなくあらゆる欠けていることを受け入れることであり、感情は過去に起因することから、この瞬間を今の自分が味わうことであり、知的とは知らないことを知ることであるという。

ではこの知的について「どうやって知るのか?」
矢継ぎ早に回答が飛び交う中、何も気づかぬまま発言をしている私たちを嘆くかのようにマスターは首を振る。私もこの大切なことを最後まで気がつかず、猛省した。この気づきを持ち、外側と内側に働きかけることこそがアジャストメントなのだという。バガヴァッドギーターもそう、なぜ一人ずつが話していくのか。これを持つ準備をすることがいかに大切か。これ無しでは家族もこわれていくという言葉は厳しいが、本当にその通りだと腑に落ちた。

参加者のリクエストのアサナのアジャストメントの解説は、その3つの側面、見地からクリエイトされているであろうお直しであり、まさに芸術。巷に蔓延しがちな「生徒の身体に触って、心に寄り添って」などでは決してない。どのアジャストメントも生徒自身が外側からも内側からも自立できるような練習法で準備していくことに見事に一貫していた。時間の許す限りペアを替え練習し、自分も含め様々な身体から学んでいくあっという間の2時間。

最後にマスターから「自分はこの時間アジャストメントのクラスを心から楽しみ、今その引き出しを閉めようとしている。そしてこれから僕は『息子』という引き出しを開けなくてはならない。人生思いがけない、こうした悲しい出来事はある。ヨガをするということは、その悲しい気持ちをそうでないように装うのではなく、ありのままの自分、全ての引き出しを受け入れることである。しかし全ての引き出しが開けっぱなしでは知的な判断が曇る。だからいつ開けていつ閉めるのかができることがとても大切なのだ。」と。

WS冒頭では当然暗い顔だったマスターが講義からは穏やかな明るい表情でいつものように私たちに教えてくださり、またWS終了と同時に静かに皆を見つめ、生徒たちからのマントラを聞きお礼の言葉を最後に最終便へ向かった。装いではない、母を失った深い悲しみもヨガを好きだというありのままの自分を全て受け入れた上で、引き出しを開け閉めする姿をはっきりと私たちに見せてくださったのだと思う。改めてマスターという師に学べて本当に良かったと仲間と涙した。そして今できることは、練習すること!と部屋の最終時間まで仲間同士残って復習し、練習をした。

肉体的なお直しを遥かにに超えたヨガの見地からのアジャストメント。
私はこの日を一生忘れることはない。これから私も思いがけない出来事に悲しみ、涙する日も必ずあるだろう。でも、マスターの見せてくださった背中、この日学んだことを胸に私はヨガをする人として生きていきたいのだと心から思った。1937287_10208475286057650_5017859001086176043_n

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