ヴィジョンオブヨガフロー@藤沢

何をするのかわからない。

本来、”先がわからない”ところには『怖い』があるはずなのに、マスター・スダカーのフローには『楽しい』がある。

 

久しぶりのマスターのフロー。それは自分のカラダと対話する至福の時間だった。

何もできないのに、その一瞬一瞬が楽しくて仕方なかった。

 

フロークラスといえど、いつもの様にお話から始まるマスターのクラス。フロー後もまた、お話で終わる。

 

耳から受け取り、肉体でも受け取る。耳から受けとった言葉と、肉体を通した感覚とが、最後のお話によって細胞へと沁みる。

 

お話が上手な先生はたくさんいるだろうし、肉体を柔軟にしてくれる先生もたくさんいるだろう。でも、その両方からアプローチし、矛盾なくヨガをヨガとして伝達できるヨガ指導者が何人いるだろうか。

マットの外を重要視して、その人の生き方そのものを目にかけてくれる先生が何人いるだろうか。

クラス内で直接こうしなさいと指導を受けるわけではないが、きっと私だけでなく参加者個々に思い当たる節があり、日常の自分の思考の仕方、言葉の使い方、行動の仕方を振り返ったに違いない。

 

クラス前には少し緊張した面持ちで、日常に何か大きな問題を抱えているような暗い顔をしていた人も、クラスが終わった時には、ゆで卵のような一皮剥けた、綺麗な表情をしていた。

あぁ、これがヨガの効能なんだろうな。と、久しぶりのマスターのフロークラスを受けて、本物のヨガの効能に酔いしれた時間だった。

 

かといって、マスターのフローができたかどうかというと、、、何もできなかった。笑

しかし、不完全さを楽しむというこの感覚を、いつの間にか忘れていた気がする。

人生の一瞬一瞬においても、こんな風に不完全さを楽しむという感覚を見失っていたんだろうなと、自分の日々を省みる機会となった。

 

マスターはいつも、「生徒に考えさせるのが、ヨガマスターとしての役目だ」という。

今日、私が持ち帰った疑問。

「人生の瞬間瞬間を楽しめないのは何故だろう」ということ。

この質問の答えが自分の中から見出せれば、不完全であるにも関わらず、フロー後に訪れるあの何とも言えない開放感と至福感を、人生のすべての瞬間に感じられるんだろう。

そんな、希望を胸に抱きながらマットを離れた。flowf

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