スーリヤワナカム継続学習(2)

2016年11月14日と15日にスーリヤワナカム継続学習が開催された。初めは9月後半の週末に開催されたスーリヤワナカム集中講座だったが、VOY生限定の参加者とはいえスーリヤワナカムの流れをきちんと実践できる生徒が少なく、9月の講座はとにかく肉体的な気づきをもつための練習が繰り返された。練習を続けるようにとマスターからの言葉をいただいて、約2ヶ月後に2日間継続学習として時間を割いてもらってこの11月を迎えた。

 

1日目の最初はお話から始まった。他人から見たら完璧に見える彫刻も、それを掘った彫刻家だけは小さなミスに気付いている。向き合うべきは自分自身で、その責任を認め修正していく決意をもつことが重要なのだと。

それから全員の動きをマスターがチェックし、おなじみのマットなしのブートキャンプ練習。思うように体を動かせないキツさが過ぎて再びポーズに戻ると、それまでより楽にポーズが取りやすくなっていく。

ペアワークの練習も行って最後に全員でカウントを合わせながらスーリヤワナカム1ラウンドとシャバーサナ。目を閉じたところに浮かぶ暗闇はリアルなのかまぼろしなのか。

頭の中は覚醒していく。

 

2日目の最初もお話から始まり、信じることの大切さ、それが逆境を変える力になること、問題を変えようとはせずに問題と共にいきていくことが重要だと伝えられた。

それからマスターのカウントでスーリヤワナカムを1ラウンド、昨晩と同様に滝のような汗が流れ落ちていく。動きの中でできていないところが確認されていたので、昨日のようにブートキャンプ練習が始まるのかと思いきや、立ったまま軽く膝を曲げて脇も軽く開け、背中をまっすぐにした状態で、まぶたを閉じぴたりとして動くな、と指示された。

全く何が起きるのか先が見えない。まぶたを閉じているので周りの状況も分からない。マスターは何かを説明しているものの、その後は完璧な静寂に包まれる。窓も閉じてあるのか道路を通る車の音さえ聞こえない。誰も動いていないから音がしない。

あふれだすものがあるならば出して構わない、それが涙なのか叫びなのかもしくは痛みがでてくるかもしれない、とにかくそのままで静止していろという。

 

ゆっくりと両手を頭の上に持ち上げて体を動かすように促され、口から息を吐き出して体を脱力させる。

ようやく座った状態で説明を聞けば28分も立ったままだったという。そしてこれが浄化のプロセスだったことを聞かさせた。

古傷を持っている人はその痛みが体からでていこうとして痛くなったという。体を静止させられず震えていた人もいたという。スーリヤワナカム自体も浄化の性質があるとは聞いていたが、その後にこうした浄化プロセスまで体験できるとは想像していなかった。

 

 

最初の集中講座から2ヶ月の間があって各自で練習して迎えたこの継続学習で、それぞれのスーリヤワナカムを見たマスターは全員のスタミナが格段にあがったと喜んでくれた。そのご褒美なのか追加の浄化プロセスに導いてくれたのだと思う。

 

絶対的な何かを信じること、義務を遂行して結果を手放すこと、逆らうのではなく川の流れのように受け入れていくこと、肉体的にも精神的にも浄化の体験を経た参加者たちの顔は輝いていたと思う。ここ2日間での数時間の体験は確実に細胞レベルで記憶されたように感じた濃密な内容だった。

 

“Yoga is not watching, but seeing.”

「ヨガとは傍観するものではなく、経験することだ」sv2

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