2017.3.10 3か月連続ヨガセラピー講座 首編①(1)

「白米を白米のまま食す日本。ありのままの白米に喜びを見出だせる日本人。

インド人である僕は、君達を見ながら白米の美味しさを学び、知った。

君達は僕を見ながら、ヨガの美味しさを本当に学んでいるだろうか?」

首セラピーWSでありながら、今日のWSで一番気になった言葉です。

 

数日前にワナカムヨガスクールのフェイスブックで、本場インドのヨガと先進国から入ってきたヨガについて、茶道とスタバの抹茶ラテに例えていた投稿が再度思い起こされて、深く考えさせられました。

その投稿では、スタバの抹茶ラテをもってして「コレが茶道か」と思い込んでいる外国人を私達日本人は失笑するが、今日本のアメリカ経由で入ってきたヨガを「これがヨガだ」と思っている私達日本人はどうであろうか?と問うていました。

モデルさん達がしているヨガを「これがヨガだ」と思い込んでいる多くの日本人。私自身もその一人でした。

 

しかし私は幸いにしてマスターに出逢えました。

では、私はマスターに出逢えながら、ヨガの美味しさを本当に学んでいるだろうか?

本場の茶道に出逢えたのに、抹茶ラテの印象を手離せずにはいないだろうか?

過去の印象を手離せているだろうか?

 

「過去は死んでいる。」ともマスターはよく仰います。

息子のことが心配で、ここ首セラピーに来ていながら心はここにいない、と言う参加者に対しても、

「1時間前に会った息子はもう過去だ。死んでいる者に対し死んでいる思考を抱えている。

死んでいる思考を考え続けて、なにが変わる?死体は必ず腐敗し死臭を発する。

その死臭が首痛を生むのだ。」と仰いました。

 

うなずくその参加者に

「『そうだ』と思ったなら、そこからどうする?手離して、前進しなさい。

ヨガとはダルマだ。歩むべき道。ヒーリングではない。

今日ここで首の痛みを取り除くことはできる。しかし首を痛くした原因である死んでいる思考を手離さないかぎり、再び首は痛くなる。そしたら又ここへ来て取り除いてもらう?

ヨガではない。ヨガとは、過去に留まるのではなく、前へ歩み続けることです。」と。

 

そのように首痛を治すということは、自らの思考を見つめ直すことが根本治癒なのだということを切々と私達に諭されてから、首に生じた肉体的痛みを取り除くワークを教えて頂きました。

 

最後に「ワナカムヨガスクールは、超人を作ろうとしているのではない。誰かになろうと欲する必要はなく、各々が人間として生まれて来たこと、その素晴らしさに気付いて欲しいだけです。」と仰り、

私はありのままの白米の美味しさに気付けたように、ただ人として生まれたことの素晴らしさに気付けるだろうか…気付きたい、と思いました。

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