2017.4.14-16 高野山リトリート(1)

高野山リトリートのテーマは、五元素の「空」。

空気は執着しない、束縛しない、とどまらない。

 

束縛し、執着し、そこにしがみつく限り自分の果たすべき役割を果たせなくなる。人生に問題は起きる。でも、その問題も高野山の上から見下ろせば東京タワーも小さく感じるように、何事も受け入れてしまえば、問題と思うことは問題ではない。

宿坊で出される食事が質素だとしても、部屋が寒くても、「高野山だから」と、私たちは文句も言わず、不満にも思わず受け入れられる。

 

その空のテーマの話の後の「ワナカム108フロー」は、難しい動きはなく、丁寧に体と向き合う動き。

おいでと、呼びかけてもなかなか動いてくれない足は、今まで呼び掛けてこなかったから。自分の体の意識を向けずにいた部分へ目を向ける時間は、あっという間にすぎ実際に経過した3時間を1時間に感じるような時間になった。

 

そして、座学は「ヤマ」

暴力は、愛の欠如から起きる。愛は、唯一すべての人の心にかかっている錠前を開く鍵になる。「愛」と「愛に基づく言葉」が足りないから、怒り、泣き、受け入れられずに、「なぜ私が!」という思いを持つから、周囲へ愛を持てなくなる。

その連鎖から、抜け出すには、「私にそれを試してみて!Try me!」と、受け入れること。留まり続けたら、どこにも行けないことに気が付くこと。行きたい場所があるのだから、戻るための選択肢は手放す。

自分以外は、すべて他者。家族であっても「ヤマ」を行うべき他者である。自分も、他者もコントロールしようとしないこと。理解しようとすることで、反応ではなく、愛をもって、対応ができるようになる。

 

 

2日目は、初めての人にはハードルの高い水シャワーから始まり、プラナバマントラ、タダアサナへと続いた。

ヨガ初心者も多い中、90分間のタダアサナを誰一人あきらめることなくとり続けることができた。自分にはこんなにも可能性がある。と、前向きに考える一歩をみんなで進むことができた。

 

その後、高野山奥の院への参拝、観光をし、2日目の座学は、「ニヤマ」。

変化がないと、悩む必要はないことを教わる。種を蒔いても、全部の種が発芽するわけではないが、発芽しなかった種もまた、土の中で養分になっている。

 

1人1人の質問にマスターが答える形での座学は、その人だけに与えられている解答ではなく、全員の胸に沁みるものであった。

 

そうやって、マスターは常にヨガの種を蒔き続けてくださっている。必ず、栄養になると、私たちへ「信頼」を核に接してくれているからだろう。

 

他者に接するとき、どれだけ多くの疑いを持っても構わない。核が「信頼」であるならば、と話してくれるマスターは、実際の行動で示してくださる。

 

 

3日目は、水シャワー後、「ダラナ」のためにも、アサナを練習。お勤めで正座を保てない私たちに必要なアサナを自分で練習するための手法を学んだ。

そして、甘い(優しい)言葉を口にする必要も。

高野山で学んだことを日常で続けて行こう。空気のように。

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