2017.4.14-16 高野山リトリート(2)

去年7月の安曇野、1月の南インドと続き、今回が3度目となったリトリート参加@高野山。

 

やはりリトリートは特別な学びの場だ。ワークショップもTTCもマスターからヨガを学ぶのは基本的にマットの上。けれどもリトリートではマットの上に限らず1日の食事をご一緒することに加え、早朝の練習、夜寝る前のサットサンガ・質疑応答の時間があり、朝起きて寝るまでがずっと学びの時間となる。

それは「1日ヨガ三昧」というフレーズからは想像が出来ないほどヨガの教えにどっぷり自分を浸せる時間となる。

 

そしてマスターのお話はその場所を題材にされ、参加者の脳裏にしっかりと焼き付く教えとなる。マスターが折に触れておっしゃる「適切な場所で、適切なタイミングで、適切な言葉でメッセージを伝えること」がどれほど大きな伝える力をもっているのかをあらためて感じた3日間だった。

 

地上を這う一匹の蟻ですら、至近距離で見るととてつもなく大きな恐ろしい生き物に見えるように、人は問題を抱えているときその問題を目の前でしか見ておらず、ことさらにその問題を大きく感じてしまっている。

地上では大きく見えていたものでも、高野山の山頂から見ればすべて小さく見えるように、高い位置に立ち問題を見る視点を高くもちなさいという師の教え。

高野山に思い至ったとき必ずこの言葉を思い出すだろう。そして困難に出くわしたらこの教えを思い出そう。

 

高野山は祈りの場でもある。神を前にして祈るとき、それは何かを得るためではなく、手放すために祈るのだとマスターはおっしゃった。神社仏閣で手を合わせるとき願いを口にするのが常だった自分には何だかとても新鮮に響いた。「家族皆が健康でありますように」と願うのもそこには自分の家族しか念頭になく、家族への愛着や執着なんだなと、マスターに学んでもう3年目に入ろうとしているのに、今更ながらそんな思いに至らせてくださったマスターの言葉だった。

 

そしてマスターは高野山で今も祈りを続けているとされる弘法大師から、その強い意志と忍耐を学びなさいとおっしゃった。私たちヨガ生はヨガを通してこの忍耐力をつけることを学んでいる。

二日目の朝、70代の参加者も含め皆が同じ姿勢で1時間以上目を閉じマスターの言葉だけに耳を傾け立ち続けることができた。まさに忍耐力が問われた練習だった。

 

人生において年齢問わず忍耐力が試される場面が必ずある。「もうダメ」「もうこれ以上耐えられない」とこれまで幾度となく挫折したり逃げ出したりしてきたことか。けれどもそんな態度を今からでも改められるんだと、マスターは私に少しだけの希望と勇気を与えてくださった。

 

リトリートの醍醐味は、マットの上での学びがマットの外にある人生に活かせることを体感できること、その場その場で繋ぐことができること。そしてあらゆる物や事象がマスターの目を通してヨガの教えとなって私たちに授けられること。

10月の南インドリトリートが今から楽しみでならない。

リトリートという貴重な機会をもっともっとヨガ仲間に体験してほしいと感じた二泊三日だった。

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